
不登校からひきこもりになって困ったのは、
全く経験したことのないひきこもりなので、
何処の誰に相談すればいいのか悩みました…
不登校になってもしばらくは、
学校へ休みながらも登校していた娘でした。
ところが、ある日を境に、
「もう学校へは行かない!」
と言って、ピタッと登校しなくなりました。
どうも、そのころ「いじめ」にあって、
完全に人間不信に陥ったと、後で聞きました。
私は父親なので、その話を聞いたのは妻からで、
それもごく最近のことです。
娘は、男親にとってはとてもかわいいものですが、
思春期になると、女性特有の体の変化などもあり、
一般的に疎遠になると聞いてはいました。
ただ、私と娘は比較的仲が良く、
小学校高学年までは、一緒に風呂にも入ったり
するほどでした。
なので、約5年間愛娘に会えず、話もできなかった
当時の状況は、私にとって苦痛と言葉で言えるほど、
簡単なものではなかった。
長男、長女と他にも子供はいましたし、
どの子もかわいいには違いないのですが、
末娘というと、本当にかわいいのです。
妻からはいつも、
「あなたは娘に甘すぎる!」
とよく言われていたものです。
さて、ちょっと話がそれましたが、
完全に不登校状態になって1ヵ月くらいだったか、
学校の先生が訪問してくださったり、
娘の友達が宿題を持ってきてくれたり、
ということがありました。
そんなときも娘は、先生や友達にも、
「会いたくない」
とかたくなに拒否していました。
それから2~3か月くらい経ったでしょうか、
学校のほうから、「保健室登校」という方法も
あると聞いて、何度かは行ったようでした。
当時まだ中学1年生ですから、娘自身も、
「学校へ行ったほうがいい」
とか、
「学校へ行かなければならない」
という気持ちと、
「学校へ行きたくない」
という気持ちの葛藤があったようです。
学校には、カウンセラーと呼ばれる人が、
週に何回かいらっしゃるようでしたが、
結局本人が「会いたくない」ということで、
カウンセリングも受けずじまい。
その後時間が経つにつれて学校からの連絡や、
友達が来ることすら、なくなりました。
不登校から半年も経つと、学校からは何も
コンタクトがなくなりました。
ただ、この頃の娘はまだかろうじて妻や私と
話をできる状態でした。
でも、なぜ学校へ行かないのか?
という話になると、態度が豹変して攻撃的になり、
話をできる精神状態ではなくなるようでした。
私と妻は、学校の話に触れないように、
まるではれ物にでもさわるような対応をして、
過ごしていた記憶があります。
この頃になってようやく私と妻は、
「もしかしたら大変なことになったのでは!?」
という意識が、やっと出てきて、
「このままでは大変なことになる!」
ということがわかった時期でした。
学校からも見放され、どうしていいのか、
途方に暮れるようになって、このころからネットで、
いろんな支援機関などを検索しました。
県内には、県の機関としてのひきこもり支援や、
民間にもいろんな施設があることを知りました。
休日になると、県内の様々な支援施設や支援機関に
相談に行ったりしました。
本人が行けばいいところもあったのですが、
「ぜったいに行かない」
の一点張りなので、私や妻がすべて話を聞きに行き、
どうすればいいのかを模索する毎日が続きました。
「どこかに相談すれば必ず何とかなる!」
そう信じて動き続けましたが、私たちの気持ちとは逆に、
娘本人の状態が悪化するスピードは、想像をはるかに超え、
ついに手に負えないほどになりました。
私と妻は、今まで以上にいろんな支援施設などへ、
助けを求めて奔走しました。
そこで見た現実が、私たちを凍らせました。
ひきこもり支援をする親の会は、大小いろいろで、
いくつもの会合に顔を出しました。
その親御さんの、半数…いや7割以上は白髪の
お年寄りでした。
話を聞くと、ひきこもって15年とか25年とか、
いわゆる「中高年ひきこもり」の親御さんです。
そんな親御さんのあまりの多さに妻も私も、
思わず、
「このままでは、大変なことになる」
ということを、身をもって感じた瞬間でした。
私たちが、2人して白髪の老夫婦になっても、
娘がひきこもっていることを想像した私たちは、
正直「ゾッと」したのです。
そして、その会合に参加して分かったことは、
「我が子のひきこもりを解決したい」
という気持ちは同じだけれども、
ひきこもり年月が長すぎると
「あきらめの雰囲気」
が漂う会話が多いということ。
そして、中高年ひきこもりは他にもいる
という変な連帯意識みたいな「安心感」で、
お互いの傷を癒しているような会話。
中学生の不登校が今や15万人を超えて、
40~50代中高年のひきこもりが最多!
というニュースを見ても他人事ではない、
と感じた私たち夫婦は、
「このままでは、絶対にダメだ」
と心に誓い、再度対策を練ることになった。
ひきこもり支援をする親の会に参加したことは、
いい意味で「反面教師」となった。
コメントフォーム