ひきこもりの子供を抱える家庭の多くは、
母親が対峙している場合が少なくありません。
父親が介入しない理由について思うこと…
ひきこもりの子供を抱える家庭の
多くは母親だけが対峙している
という場合が少なくありません。
父親が介入しない理由
について思うこと…
ひきこもりの息子なり娘を持つ
親御さんは、両親がいる場合や
片親の場合などいろいろです。
私の場合、
妻がいましたので2人でひきこもりを
解決できたのですが、
前にもお話したかと思いますが、
ひきこもっていた期間のほとんどは
妻が娘の世話をしていました。
実際、
ひきこもりの親の会などの集まり?
には、幾度となく参加しましたが、
やっぱり8割がた母親が参加されて
いました。
今だから言えるのですが、
私自身は、
「逃げていた」
のだと思います。
ひきこもりを抱える家庭の多くの
父親は、生活を維持するという
大義名分をかざして、結局妻に
まかせっきりというのが現状では
ないでしょうか?
思春期の娘というデリケートな時期
も重なり自分ではどうしようもない
という思い込みや話はできないだろう
という自分に都合のいい言い訳を
つくっていたと感じます。
もちろん
本当に生活を維持していく上では、
妻も仕事を辞めていましたので、
ウソではないのですが、心の中に
後ろめたさがありました。
自分にもできることが
あるんじゃないだろうか?
そう思い続けていたのは本当です。
たぶん世の中のひきこもりを抱える
父親の多くは、今でも私のように
「逃げている」
人が多いと、感じています。
そして、暴れたり、問題行動を
起こしたときに、初めて怒鳴ったり
恫喝したりするのです。
今迄何もしてくれなかった父親が、
子供が暴れたりした途端に
「父親ヅラ」
しても子供にしてみれば、どうして
もっと早くに叱ったり、話を聞いて
くれなかったのかと、
感じているはずです。
私の妻は、
毎日365日罵倒され続けて、
それでもあきらめずに娘と対峙
してきました。
当時も思いましたが、
「母親というのはすごい」
と思いましたし、私にはできない
と思いました。
妻は、娘との話の端々に私の話を
持ち出しては、私と話ができる
きっかけをつくろうとして努力して
くれてはいました。
でも、娘の答えは
「NO」か「無視」でした。
それを聞くたびに寂しくなる気持ちと
同時に、ほっとした気持ちになった
のもありました。
もし、娘が私と話をする。
と言ったとしたら、
私は狼狽したことでしょう。
それは、
何をどう話せばいいのか
わからないから。
たぶん、
親としてのあたりまえのことであり
世間一般的な、心にも響かない内容の
話に終始していたことでしょう。
私は、自分の子供という前に
娘(思春期の女の子)という意識が
強すぎて、話す前から通じ合えない
と感じていたと思います。
でも、父親特有のその考えは
間違っていました。
私は、
ひきこもりから解放された娘が、
いつでも学校や社会へ出ていけるように
せめて経済的に支援できる体制を
整えること。
それが、
最低限の父親の役割と思ってました。
しかし、娘が求めていたことは
違っていました。
これも後になって娘から
聞いたことですが娘が求めていたのは
愛情でした。
そして信じ切る心です。
感受性の強い娘は、
表情や声色ひとつで、相手が自分に
対してどんな感情を抱いているか
ということを瞬時に察知します。
ある意味すごい能力です。
私たち夫婦は、
そのすごい能力で心を見透かされて
いるような気持になって、
本音を言えなかった。
だから、
場当たり的な当たり障りのない言動で、
娘との距離がいっそう遠のいたのです。
娘に本音で
心からぶつかっていなかった。
父親である私は、
妻以上に距離があったでしょう。
自分で壁を作っていたとも言えます。
じゃあどうすればよかったのか?
一言で「愛情」とか「信じる心」
と言っても、具体的にどういうこと
なのかについては、当時わかりません
でした。
そんな私達夫婦が、娘との距離を
どうやって縮めて信頼を回復し正常な
親子関係を築くことができたのか?
それについては、次回以降に順次
お話させていただきます。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。
PS.
娘との距離を
どうやって縮めて信頼を回復し正常な
親子関係を築くことができたのか?
については、
ブログ内でもお話していますが、
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