ひきこもりの子を持つ親御さんの多くは
子供の人生は子供のもの…
頭ではわかっているのに言動が伴わない
そんなことはないでしょうか?
ここ数年来、特に最近は
不登校とかひきこもりに対する世間の
見方や考え方が多様化しています。
国をはじめ県や市単位でもようやく
不登校とかひきこもりの現状に対して
重い腰を上げ始めたからでしょう。
私の娘が不登校やひきこもりになった
一昔前(あえてそう言いますが…)
とは社会の環境も変わりました。
一言でいえば、
「学校へ行くことがすべてではない」
「皆、同じでなくてもいい」
そういう認識が少しづつですけど、
浸透しつつあるのを感じます。
でも、
昔も今も変わらないことがあります。
それは、
「子供には幸せになって欲しい」
という親としての願望であり気持ちです。
親ならば、自分の子供の幸せを願うのは
当然です。
最近では、
不登校やひきこもり解決の為の書籍や
カウンセラーなどの情報がとても多いし
増えたと感じています。
私や妻が娘の不登校~ひきこもりで
苦しんでいた時とは雲泥の差といっても
いいでしょう。
ただ、逆に情報が多すぎて我が子には
どの方法が相応しいのかを選ぶのが
難しいのではと思うくらいです。
さて、
先ほども言いましたが、親は子供の幸せを
望むものです。
ここで、
「子供の幸せとは何か?」
「どんな状態になるのが幸せなのか?」
ということを考えたいと思います。
昨今のカウンセラーなる方々は、
ほとんどが私が先ほど言った
「学校へ行くことがすべてではない」
「皆、同じでなくてもいい」
というニュアンスのお話をされます。
私自身、自分の経験からも間違いない
と確信しています。
でも、今だから「確信している」と
自信をもって言えますが、
当時はそうではありませんでした。
というより、
ひきこもりを解決するうえで
いちばん難しかったことになります。
冒頭にも言いましたが、
「頭ではわかっていても言動が伴わない」
という部分です。
最近の不登校やひきこもりの親御さんの
SNSだったり、投稿を見かけます。
皆さんけっこう前向きな投稿が多く
感心させられます。
私と妻も、
「学校へ行くことがすべてではない」
「皆、同じでなくてもいい」
という気持ちを何とか持ち続けるように
自分に言い聞かせる努力をしました。
「努力をした」
と言いましたが、それは逆を言えば、
そうは思っていないという裏返しです。
つまり、口ではそう言っていても
心の中は違うということ。
以前この記事でもお話しました。
親である私や妻の小中高生時代から
学校や親そして社会から刷り込まれた
「洗脳」に近い経験はそう簡単には
消し去れるものではありません。
「学校へは行ってあたりまえ」
「休むとか行かないなんて悪いこと」
「皆と同じようにするのが当然」
「人と違うことは罪悪である」
このような教育を長い間受けてきたので
本心から納得しないままの対応でした。
だから娘と会話できるようになっても
言葉の端々や態度、表情などに本心が
見え隠れしていたのでしょう。
娘は、それをすかさず察知しました。
せっかく取り戻せたと思っていた
親子の信頼関係を台無しにしたことも
ありました。
特に、
親子の関係性が良好になってくると
親は勘違いしてしまいます。
「ああ、もう何を話してもいいんだ」
これが間違いのもとです。
不登校やひきこもりの長い間に
失われていた信頼関係があったことを
忘れてしまっていたのです。
方や子供は、しっかりと覚えてます。
だから、私たちの言動が元に戻った
と感じると、すぐに心を閉ざします。
私と妻は
「できれば再登校してほしい」
「できればいい高校に入学してほしい」
「安定した企業に就職してほしい」
といった、
私たちが親や学校から刷り込まれた
前近代的ともいえる願望を密かに
持っていたのでしょう。
この「洗脳」から解き放たれるのに
本当に苦労しました。
以前のこの記事もよろしければ
ご覧ください。
頭ではわかっているのに…
言動が伴わない…
というのは、本心は違うということです。
不登校やひきこもりのリバウンドに
直結しますので、ご注意くだい。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。
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